(ひぐらしのなく頃に業、20話より)
——(20話)沙都子は宝物殿から不思議な音を聞いた。立像を触れると、ツノのようなものが落ち、沙都子は謎の空間に飛ばれたのだった。「久しぶりであるな。人の子よ」
いや普通にフェザリーヌでてくるんかい。違うか、ひぐらし業オリジナルキャラクター(フェザリーヌ)(完全体羽入)か。
フェザリーヌって?
フェザリーヌは「うみねこのなく頃に」に登場するキャラクター。
「ひぐらしのなく頃に」→「うみねこのなく頃に」と作品が産まれたのだけど、「うみねこのなく頃に」ではいわゆる「魔女」がいて、この魔女たちは色んな物語を観測、プレイできる。うみねこの各章を実際にゲームプレイできる私たちと同じ目線でいられるから、一緒に推理できて真相に迫っていくことができるギミックである。
それでいて、あくまで創作のキャラであるから、一緒に推理しつつ、魔女どうしの絡みも楽しめるという一石二鳥。
「うみねこのなく頃に」で登場した魔女は、「ベルンカステル」「ラムダデルタ」「フェザリーヌ」「ベアトリーチェ」である。その作品の中でひぐらしのことを仄めかす発言や、梨花と沙都子のやりとりを再現した茶番があった。
のちのち、「ひぐらしのなく頃に」でも「魔女」を考えることができることに気づいた人がいて「上位世界」という考えが産まれた。
「ひぐらし」と「うみねこ」には物語的な繋がりはない。これは自然なことで、物語には法則があり、ちょっとキャラが増えると矛盾が生じてしまうのである。
粘土をコネコネして型にはめるのは容易いけど、彫刻を削っていって型にはめるのは難しい。よく創られた物語は、彫刻を削っていく方式。大きすぎてもダメだし、削りすぎてもダメ。だから、繋がりがありそうに見えるけど、断言はできない。もし断言してしまうと、その断言で産まれた凸凹のせいでまた彫刻がはまらなくなる可能性がある。
ひぐらしで「ベルンカステル」や「ラムダデルタ」を考えることはできるけど、非公式が正しい。
物語には勝手にキャラを追加すると矛盾がうまれる可能性がある。それが他作であれば、なおさら、こっちの設定ではこうだけど、これでは違うくない?といった揚げ足とりがいくらでもでてくる。それらを一発で解決する方法がある。オリジナルキャラにしてしまう。
これによりちょっと設定が違うことに、「あー別人だから」で返せるわけ。
20話で登場したフェザリーヌによく似たキャラクターも、ひぐらしのなく頃に業オリジナルキャラクター。
ちゃんと裏どりしてあったらフェザリーヌかもしれない。フェザリーヌの設定をそのままひぐらしに持ってくるのは重労働である。ある程度設定があるキャラは彫刻の形が決まっていて、かつ物語には決められた形があり、ちゃんと合致するようにしなくてはならない。
逆に、物語で自然発生したキャラは物語の中で設定が決まっていくのでピッタリになりやすい。
うみねこのフェザリーヌではなく、ひぐらしで自然発生したキャラと考えるのが合理的。ポンコツだった羽入が力を取り戻して、完全体になったと考えるのが自然。
それよりも沙都子、デッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!
うみねこのフェザリーヌって?
うみねこのフェザリーヌはベルンカステルやラムダデルタよりも各の高いキャラと描かれる。
「ひぐらしのなく頃に」→「うみねこのなく頃に」の順でうまれたのだから、羽入を元キャラにつくったフェザリーヌは神的な存在のさらに神的な立ち位置になる。
羽入は英語でfeather(羽)in(入)でfeatherin(フェザリーヌ)。
フェザリーヌの正式名称は、フェザリーヌ・アウグストゥス・アウローラ、略してアウアウローラ。羽入の口癖「あうあう」。
フェザリーヌをもっと知りたいのなら、「うみねこのなく頃に」をやってみるといい。私なんかの言葉では全てを説明しきることはできない。
(お気に入りのキャラはベアトリーチェ)
Q:今日は考察しないんですか?
気づいたんだ、何か疎外感があるなって。孤独には慣れていて虚無に親しんだからいいのだけど。これって、中高生が身内話してる間にどこか知らないおじさんが割り込んでくるシチュエーションと同じなんじゃないかって。
歳だけとるって生きづらいんだね。
それよりも沙都子、デッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!