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注意:ひぐらしの考察を含んだ論理的推論を考えた記事になっています。考察とは何かに偏ってますので、純粋なひぐらしの考察記事ではありません。「ひぐらし業」17話までのネタバレを含みます。
久々のアニメ考察の回です。
最近、このサイトのメンテナンスしてなかったので所々不具合を見つけました。なお、直す気はない模様。
アニメ考察は6話もしたら現実で2ヶ月は経っているし、その頃のブームも変わってしまってクール終盤になるほどアニメを見なくなります。オタクあるある。
アニメに限った話ではないんですが、創作とはフィクション[嘘]です。
「創作=フィクション」
これ大事。
理想の世界を描くのもいいし敢えて間違った世界を描くこともあります。
ヒロインをさまざまな方法で56したり、主人公を殺戮兵器にしてもいい。
読者はその物語に多少不快感を感じるかもしれないが、その背景には絶対に作者のメッセージがあります。そのメッセージこそその物語が成り立つ根拠です。
さて、とうとう本性を表した今回の黒幕。
なんだってー!!!まさかこのキャラが犯人だったなんて!?
犯人は、北条沙都子だった。
https://amaikaeru.com/entry/higurashigou1
鬼騙し編の頃の最初の考察に、白文字で書くギミックをいれていたが誰も気づかなった。(そもそもこんなブログ見てる人いるのかって話。)
https://amaikaeru.com/entry/higurashigou8
次に、沙都子を黒幕として考察した回では、「沙都子が自動式拳銃を所持していた、とは考えにくい」と考えてました。いや、普通に持ってたし。
いや小学生が拳銃携帯してるとか! だってそうだよな、創作とは嘘だから何を描いてもいいって自分でいったんだし。
小学生が拳銃を携帯してるのも予想しなきゃいけなかったな。
論理的推論とは何か。
「原因→結果」「仮説→事実」「仮定→結論」
考察に必要なのは論理的推論です。まあ、ひぐらしの話題からそれるのでほどほどにしますが、論理的推論に欠かせないのが「原因→結果」の矢印です。
たとえば、席をたった数分の間に机に「コーヒー」があったとしたらどう考えますか?
「誰かが差し入れてくれた」と考えるのも真です。
「自分が淹れてそれを忘れている」と考えるのも真です。
ある物事を考察するときには無限大の可能性が考えられます。
ただし、この「考察」には絶対に必要なことがあり、「仮説」の果てに「事実」が得られることです。
さきほどの例でいうコーヒーの話にも、いくらでも考えることができます。たとえば、私が淹れたのではなく他人、Aさんが、Bさんが、もしくは超自然的な現象で無からコーヒーが生まれたとしても、考察としてはOKなんです。
やっちゃいけないのは、その仮説、考察で事実とは異なる結果が得られることです。
たとえば、その仮説でいくと「コップに入った水」が机に置かれるみたいな事実とは異なる推論です。
席をたった数分の間に机に「コーヒー」があったという事実に対して、その考察では最低限、「コーヒー」が得られる必要があります。
図で表すとこんな感じ。
でも事実とは1つです。某名探偵が言ってます真実はいつも一つ(キリッ)。(真実と事実は違います)
席をたった数分の間に机に「コーヒー」があったとういう事象には仮説はたくさんあれど、その仮説の1つだけが正解です。
今度は逆に、余分な説を消去して「正解の説」に絞り込むことをします。
仮に、説Cが「正解の説」だったら
図で表すとこんな感じ。
絞り込んだ正解の説Cは100%十分に事実(結論・結果)を説明できると言えます。
これすなわち論理であり、これすなわち論理的推論です。
「仮説→事実」でも「原因→結果」でも「仮定→結論」でも同じような図になります。
席をたった数分の間に机に「コーヒー」があったとういう事象を、何が「原因」で「コーヒー」という「結果」が産まれたのかと考えると、「仮説→事実」も「原因→結果」も同じこと考えてることになります。
で、「考察」とは「仮説」であり、「仮説→事実」ですから、考察はたくさんありますが、事実は一つしかありません。
考察勢は円の中で説を言い合って議論します。もちろん、円の枠内ですからそれぞれの意見は正しい、のですが、真実は一つですから少なからず外れるわけです。
難しい絞り込みの条件
で、難しいのがこのたくさんの仮説の中から「正解の説」を導く絞り込みの過程です。
考察が捗るとは、数ある仮説の中から正解の説を導く過程のことをいいます。ここで新しい説もってきました、とすると、絞り込みは説を消去する過程なのになんか増えてんなとなるわけです。
これは今ある仮説では十分に説明できないので新しい説を導入しなければならないこともあるので必然のことですが、ある意味矛盾してるわけです。
特に題材がフィクションのとき、超自然的な仮説もありますからどうしても100%十分に説明できる説を立てることが難しいわけです。
100%です。
キャラの言動、行動、結果全部含めて100%です。
こう考えると、正直な感想、無理じゃね?に辿りつきます。
そして何を根拠に絞り込みをするのかを考えなくてはいけません。
「うーん、あなたの説は気持ち悪いわ?」といった個人の感想や意見なんかの主観的な仮説の消去はやってはいけません。
絞り込みの条件とは常に客観的であり事実に基づく条件のもと消去していく必要があります。
事実に基づく条件とは、実験と観測、評価によって客観的であると言えます。
仮説を立てて、実験をし条件を求め、正しい説を導く。
「仮説→絞り込み条件→事実」
この一連の動作が論理的推論であり、事実を導けることになります。
アニメ考察に戻ります
「仮説→条件→事実」
ほどほどとか言ったのに、ゴリゴリに説明しちゃったよ。
さて、アニメ考察に戻りましょう。
アニメ考察の場合、実験はできませんから客観的な「条件」はどうしましょう?
せっかく、仮説があるのにこれだと60%だよ〜とお困りのあなた!
ででーん、『物語の理論』〜。
物語の理論とは、創作において共通する事柄を纏めた抽象的かつ客観的なものです。
これを使えば、あなたの説は100%間違いなし!
え?どこにあるのかって?私のノートの中……
仮説があって絞り込みをしよう!じゃあどうやって余分な説を排除する?
客観的な物語の理論なるものを使う。
ナニソレ?
絞り込みの方法はもう一つあります。実験をする。
アニメは実験はできないっていったばっかじゃん。
実験とは何か、「事実を確かめること」である。
で、あるならば、
実験とは、アニメでいうと「次の話を観ること」である。
それってもう答え合わせやん。
はい、論理的推論によりアニメ考察は無意味だとわかりました。
終わり!!ませんよ。
考察とは何か、考えることである。何を?
何を考えるかによって考察の方向性は変わってきます。
推理ものだと有名なのが、
- フーダニット・・Whodunit(Who had done it) 、犯人は誰か
- ハウダニット・・Howdunit(How done it)、どうやって犯行を成し遂げたか
- ホワイダニット・・Whydunit(Why done it)、なぜ犯行に至ったか
この辺りを考えることになります。
また、「なぜその考察が生まれたのか」を考えることもできます。考察の考察をするわけですね。いわゆる批評というやつです。
今までの考察を振り返る
「考察とは楽しいからするのであって結論が欲しいわけではない」
考察勢の考察は、事実を説明できる説の1つですからこれをどうこう言っても平行線を辿るか、議論の結果たまたま出た正しい「もし〜」を発見するかのいずれかになります。
また、批評=否定ではありません。
批評とは「なぜその考察が生まれたか」を考えることであり、「その考察の何が間違ってるのか」を考えるものです。
この「何が間違ってるのか」だけを読み取って批評=否定と勘違いしてしまいがちです。
考察の何が間違っているのかとは、その考察の絞り込みの条件です。
「この考察では絞り込みの条件に個人的な感想を使っているので間違っている」
これが正しい批評です。絞り込みの条件とは客観的である必要がありましたね。
また「条件が適用されるか」を考えるような「その条件は客観的だけど適用してもいいの?」のも正しい批評です。
https://amaikaeru.com/entry/higurashigou1
最初の考察には「北条沙都子が犯人である」としています。考察の考察をしてみましょう。
この考察がなぜ生まれたのかというと、これは物語を「結果」として考えています。
古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープした「結果」から、なぜタイムリープしたのか「原因」を考えるわけです。
「原因→結果」ですから原因は複数考えられます。
原因1:古手梨花が死亡してタイムリープが発動した。(古手梨花の性質)
原因2:古手梨花ではない人物がタイムリープしてそれに古手梨花が巻き込まれた。
原因3:ひぐらしの外伝で作者がきままに書いた。
・・・以下、たくさん。
原因3については、「ひぐらし業」という新しい物語を創る「結果」になりますが、古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープした「結果」にはならないので、結果を導けない原因になります。
よって、原因3は消去。
原因1と2どちらかに絞り込みをします。絞り込み条件は客観的な事実です。
アニメ2話あたりとこれまでの「ひぐらし」から古手梨花の性質のタイムリープの力(羽入の力)が弱まってると知ります。
この条件により原因1が消去。
よって、「原因2:古手梨花ではない人物がタイムリープしてそれに古手梨花が巻き込まれた。」が得られます。
原因4、5、と考えられてない原因があります。実は考察の余地ありで、必ずしも消去法で100%原因2になったわけではないのです。
ではさらに考察を深めていきましょう。
逆に、古手梨花でない人物がタイムリープしたと「仮定」する。
「仮定→結論」ですから今度は結論を考えることになります。
古手梨花でない人物がタイムリープしたと「仮定」すると、古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープした「結論」になるはずです。
ですが、「仮定→結論」が言えたとしても「結論→仮定」は必ずしも言えません。
((もしここで「仮定⇄結論」が言えたとしたら、原因2が正しい原因で100%になります。ここで初めて原因4、5を考えなくていいことになります。(原因2が100%だから原因4、5らは0%になる!)))
続けますと、もし人物Aがタイムリープしたとしたら「昭和58年の雛見沢」である必要はないので、古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープした「結論」にならない。
つまり「昭和58年の雛見沢」が絞り込み条件である。
「仮定→絞り込み条件→結論」ですから、結論になるような都合のいい(合理的な)絞り込み条件は「昭和58年の雛見沢」ということになります。
『人物Aがタイムリープ(仮定)→昭和58年の雛見沢(条件)→古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープ(結論)』の形になります。
ではタイムリープとは何か、本作のタイムリープは意識のみの時間移動のことである。つまり身体(体)はその時代にないといけない。
タイムトラベルものは数多くありますが、タイムトラベル(体ごと)とタイムリープ(意識のみ)に大別されます。
「ひぐらし」シリーズにて古手梨花のタイムリープは客観的なことですから条件になります。
『人物Aがタイムリープ(仮定)→昭和58年の雛見沢(条件)身体がある(条件)→古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープ(結論)』の形になります。
言語化すると、人物Aがタイムリープするには昭和58年の雛見沢に身体があり、巻き込まれる形で古手梨花がタイムリープした。前半は、「人物Aは昭和58年の雛見沢にいる」で言い換えられます。
→人物Aは昭和58年の雛見沢にいて、巻き込まれる形で古手梨花がタイムリープした。
となると、ひぐらしの登場人物全員が容疑者になります。
だから、この段階では「怪しい」といった希望的観測になります。
私は当時、「怪しい」と主観的な条件で絞り込みしてるので間違っていますね。
しかも「なぜ」とホワイダニット(動機)を言ってますからこれも言及すべきです。
以下当時の考察↓
古手梨花と共に成長し、かつ、昭和58年6月の雛見沢にいて、成長した古手梨花とも関わりをもっていそうな人物。
OPのショートヘアの女の子が怪しい。
OPのショートヘアの人物はネクタイを外す動作をしていたから、聖ルチーア学園の生徒である可能性がある。
聖ルチーア学園の生徒であり、古手梨花と同年代、かつ、雛見沢の人物とすると、消去法的に自然と導かれる。
だが、この結論はあまりにも悲しすぎるし、なぜ、という感想しかでてこないので、私には書くことができない。
そもそもOP映像は絞り込み条件になるのか?客観的だと言えるのか?
閃きました論理学者は説vs説じゃなく条件が適用されるかどうかで議論してるのだと。
OPはアニメの一部だけど、物語と関連性は、ない?ある?
「沙都子が自動式拳銃を所持していた、とは考えにくい」も個人的(主観的)な推論ですから間違っていたということです。
難しい話はさておき、考察
さて以上のことを踏まえて論理的な推論をしましょう。
やることは、「事実」を列挙して「条件」をみつけて「仮説」を絞り込むことです。
事実1:古手梨花が昭和58年の雛見沢にタイムリープした。
事実2:綿流しの日を境に入江機関は解体される→鷹野が自白したから。(17話)
事実3:鬼騙し編で梨花と沙都子が死亡する。
事実4:綿騙し編でお魎、公良、詩音が井戸で、梨花は便槽、魅音と沙都子が死亡する。
事実5:自動式拳銃は沙都子が持っていたもの。(17話)
事実6:祟り騙し編で詩音、魅音、梨花、沙都子が死亡する。
事実7:祟り騙し編のシャワーシーンにて、沙都子には虐待の痣や傷がない。
事実8:オヤシロ様像の中にある鬼狩柳桜(剣)が無くなっていた。
事実9:猫騙し編では、赤坂、園崎茜、公良、圭一、沙都子がL5を発症した。
事実10:鷹野三四の陰謀は存在したが改心した。→入江機関の解体
事実11:綿流しの日以降、うろついていたのは番犬部隊。
事実12:強制的にL5を発症させるH173という薬がある。
事実13:H173は鍵つきのアタッシュケースに保管されていた。
事実14:沙都子は前回の世界の記憶を引き継いでいる。
次に仮説を立てます。
仮説1:タイムリープするには古手梨花が死亡する必要がある。
ここでさっき導いた結論を導入します。
→人物Aは昭和58年の雛見沢にいて、巻き込まれる形で古手梨花がタイムリープした。
タイムリープの方法が古手梨花の死亡なので、
人物Aは古手梨花を殺害して、昭和58年の雛見沢にタイムリープしたならば、人物Aは学園時代の古手梨花と一緒にいて(殺害できる)、昭和58年の雛見沢にいた人物である。
結論:人物Aは北条沙都子もしくは古手梨花である。
この仮説1だと古手梨花が自作自演しても成立します。
ただ、人物Aが古手梨花と「仮定」したとき、第二話あたりで「あの100年じゃ足りなかったの!?」という昭和58年の雛見沢を否定する立場である(客観的な事実)ことが解りますから、矛盾。
よって、人物Aは北条沙都子である「結論」が得られます。
仮説2:古手梨花の学園時代にタイムマシンがある。
こういった仮説もOK。
古手梨花の学園時代にタイムマシンがある(仮説)→昭和58年の雛見沢にタイムリープした(事実)が得られます。
古手梨花の学園時代にタイムマシンがあるならば、古手梨花が死亡する必要はなく、古手梨花が死亡した事実に反するので、矛盾。
よって、タイムリープするには古手梨花が死亡する必要がある。
タイムマシンとしていますが、ファンタジーでも(タイムマシンも十分ファンタジーですが)同じことが言えます。たとえば、霊的存在の能力でタイムリープしたとか、電子レンジでタイムリープしたとかでも言い換えられて、同じ結論になります。
仮説とは、最低限、事実が導かれる必要がありますから、古手梨花が死亡する(事実)になるような仮説じゃないといけません。
こうして得られた結論を事実として扱って考察を深めていきます。
→北条沙都子が昭和58年の雛見沢にタイムリープするために古手梨花を殺害した。
あとはこれの繰り返し。
なぜなぜ論法
結論:北条沙都子が昭和58年の雛見沢にタイムリープするために古手梨花を殺害した。
が得られました。では「なぜ?」タイムリープする必要があったのか?となぜを問いかけます。ここでまた仮説をたてて結論が得られまして、またその結論になぜを問いかけます。この繰り返しを「なぜなぜ論法」と呼んでいます(私がですが)
やっていることは、事実から仮説をたて、得られた結論から仮定をたて、また得られた結論に仮定をたててを繰り返しています。
やっていることはいままでの推論と同じことです。
ただ、いままでように(仮定)(結論)書くのが面倒なので「→」で表していきます。
→ 北条沙都子が昭和58年の雛見沢にタイムリープするために古手梨花を殺害した。
→なぜ昭和58年の雛見沢にタイムリープする必要があったのか?
→学園時代には、古手梨花と北条沙都子が不幸になる未来があるから。(仮説)
→ゆえに、北条沙都子は昭和58年の雛見沢を繰り返している。(結論1)
→不幸になる未来を回避するために、雛見沢で惨劇を繰り返すのは矛盾していないか?
→雛見沢で惨劇が起こるのは沙都子の意思ではないから。(仮説)
→沙都子は不幸になる未来を回避するために古手梨花を殺害して同じ時間を繰り返している。(結論1と同じ)
→
結論は「〜た。〜している。」の断定で表し、仮説は「〜から。」で表します。これはそのまま文章になります。ただ、元々は「仮定→結論」から派生したものなので主観的な条件は使ってはいけません。
また、上のように同じ結論になったときには、さらに結論を付け足して循環しないようにします。
→沙都子は不幸になる未来を回避するために古手梨花を殺害して同じ時間を繰り返している。(結論1と同じ)
→沙都子が拳銃をもっていたのは梨花だけを殺害して繰り返すためで、惨劇が起きるのは第三者のせいである。(付け足した結論)
→なぜ沙都子は拳銃をもっているのか?
→拳銃とは何か、入江機関の人物が所持している。(条件)
→入江機関の誰かが沙都子に拳銃を渡したから。(仮説)
結論が出ない場合は「条件」を考えて絞りこみます。この条件は客観的であり事実です。「ひぐらし」では拳銃は入江機関の人物しか所持していないという「事実」があります。
また、条件は「○○とは何か」で始まる文にしましょう。基本的に「仮定→条件→結論」が言えるとき「仮定→結論」が言えるので、条件の文は消すことができます。
→なぜ沙都子は拳銃をもっているのか?
→
→入江機関の誰かが沙都子に拳銃を渡したから。(仮説)
なぜなぜ論法は基本「なぜ?」で問いかけます。誰が、どこで、いつで問いかけては矛盾が発生します。次の文は断定になるからです。
→入江機関の誰かが沙都子に拳銃を渡したから。(仮説)
に対し
→「誰が」沙都子に拳銃を渡したのか?
→入江京介
としてしまうと、結論は断定にする決まりから、複数の場合があっても1つになってしまいます。
この場合、入江機関に該当する人物は、入江京介、富竹ジロウ、鷹野三四、山犬部隊、番犬部隊あって、これを考えるときは、〇〇が沙都子に拳銃を渡したと「仮定」して「結論」が導かれるかを考える必要があります。
なぜなぜ論法の弱点
なぜなぜ論法の弱点は「条件」を考えるとき、見落としがあることです。
「仮定→条件→結論」で考えたときは「条件」を深く考察しますが、なぜなぜ論法だと「仮定→結論」で急いでしまいます。
さっきの考察で、拳銃とは何かを考えたとき入江機関の人物だけとしましたが、よくよく考えてみれば警察も持っていることに気づきます。
→なぜ沙都子は拳銃をもっているのか?
→拳銃とは何か、入江機関の人物が所持している。(条件)
→この条件は正しいか?
→いいえ、警察も持っているので、大石、熊、入江機関の人物が正しい。あと園崎家も持っているかもしれない。
→下の仮説は間違ってる。
→×入江機関の誰かが沙都子に拳銃を渡したから。(仮説)
なぜなぜ論法は論理文ですから「〜かもしれない」が来てはだめです。
条件に「かもしれない」不確定要素があるものはその疑問がそもそも考えられないものであることになります。
→なぜ沙都子は拳銃を持っているのか?
は、「沙都子はどこで拳銃を手に入れたか?」と「どこ?」の文になるのでなぜなぜ論法では使えなかったことになります。
つまり「〇〇が沙都子に拳銃を渡した」という場合と「沙都子が〇〇から拳銃を盗んだ」という2つの場合があったのを1つにしてしまっていたのです。
これを考えるのもやはり1つ1つ「仮説」をたててる必要があります。
「なぜ?」のとき「〜だから。」で答えられますが、「どこ?」「だれ?」「いつ?」「どのように?」のときは、場所A、場所B、人物A、人物B、時間A、時間B、方法A、方法Bと複数あるときがあって、次の文を断定で表す決まりで使えないことになります。
なぜなぜ論法は結局面倒くさい。
なぜなぜ論法は「仮説」を考えるために使う
かもしれない文は、〇〇だと「仮定」していく本来の考え方になります。
仮説1:タイムリープするには古手梨花が死亡する必要がある(かもしれない)。
仮説2:古手梨花の学園時代にタイムマシンがあ(ったかもしれない)。
と同じですから。
なぜなぜ論法は厳密性にかけるけど、仮定と結論を急ぐので仮説を考えるために使います。
さっきのなぜなぜ論法では、
→学園時代には、古手梨花と北条沙都子が不幸になる未来があるから。
→雛見沢で惨劇が起こるのは沙都子の意思ではないから。
→人物Bが沙都子に拳銃を渡したから。
といった仮説が得られます。
仮説3:学園時代には、古手梨花と北条沙都子が不幸になる未来がある。
仮説4:雛見沢で惨劇が起こるのは沙都子の意思ではない。
仮説5:人物Bが沙都子に拳銃を渡した。(沙都子が人物Bから拳銃を奪った)
として「仮説→条件→事実」で考えることができます。
事実に対して、仮説が浮かばないときはなぜなぜ論法で仮説をつくりましょう。
今回はここまで
さて道具は揃ったので考察をしようという段階で一旦きります。
糖分・・・糖分をくれ。
Qこの記事の続きはありますか?
Aアニメは一週間で答えがでるので、考察もパあになりますよね。だから次の話が放送される前にやる気がでたら。
論理的推論の他に、
沙都子が記憶を引き継いでるという事実を使って今までの編を再考察する、とか。沙都子のセリフから、とか。
物語の理論なるもので、メタ的に分析することはできます。
たとえば、推理もののとき犯人がなぜ犯行に及んだのかは、過去回をつかって説明されますよね。犯人視点にすることで感情移入しやすく、読者も納得しやすい。
どういう境遇で、どういう人生を歩んできたのか。
沙都子の過去回は旧ひぐらしで散々語られてきましたよね。つまり、今回のようになってしまったのは、過去ではなく、未来にあるということです。
つまり!学園時代の沙都子が見れる!・・・かもしれない。
そそるぜぇ、これは。