Frog in a White Coat.

アニメと数学、それと勉強。

認識のモデルver2

しばらく勉強の妨げになるから考察は控えようとしていましたが、結局、考察を紙に書いてしまうようになっています。

お久しぶりです、カエルです。

今日は考察回ですが、紙に書いた「である調」の考察をそのまま書き写す形になります。何気ない「なぜ?」から結論を導く過程を「ああこんな考え方もあるんだな」風に見てもらえれば幸いです。

認識のモデルver2

私が思考するときや文字を読むとき、頭の中で自分の声でない声が話しているのだけど、それは一体なんなのだろう

一般に人格は1つだと言われるだろうが、私はあえて2つ以上と主張しよう。

最初に話した知性を、「語性」と呼ぶ。言語を理解する知性という意味で「語性」である。

人が見たり聞いたりする五感によって理解する知性を「感性」と呼ぶ。

人が論理的に考えることを「理性」と呼ぶ。

もうこれだけで、私の頭の中には3つの知性が存在していることになる。

人は理性に神秘性を感じるが、理性は考えるだけで何も生み出さない。生み出すのは、どちらかというと欲でありこれを「欲性」を呼ぶ。

だから創造主になる存在は、理性よりも欲性が強い存在ということになる。意外であった。創造主は論理的で理性的であると思っていたのだから。

 

人の認識を段階をおってみてみよう。

たとえば「Congratulations」という文字・言葉があるとする。

まず、見る読むといった知覚するところから始まるので、最初に働くのは「感性」である。

次に「語性」が働く、読むために。

次に、「理性」が働く、それは「Congratulations」とはどういった意味なんだろうといった具合に。

次に、「欲性」が働き、「Thank you」と返事をする。欲性とは生み出す力だ。

 

感性→語性→理性→欲性

 

といった順になっている。この→は順番だけでなく→先を支配していることを意味している。

感性→語性 となっているとき、語性は感性によって成り立ち、感性によって支配されている。言葉を知らない(知る=知覚するのは感性)と、語性は働かないということである。

だから、語性→理性 となっているから、理性は語性によって成り立ち語性によって支配されていると言える。

理性→欲性 になっているとき欲性は理性によって成り立ち、理性によって支配されている。具体的には、何かアイディアがないと物は生産できないことということである。アイディアが理性であり、生産が欲性である。

語性→理性 について詳しくみてみよう。先ほど言った通り、理性は語性によって成り立ち語性によって支配されている。

つまり、理性によって私が思考するときや文字を読むときには、語性が働くということになり、私の声出ない声が働くということである

私の声でない声の正体が少し分かった気がした。