Frog in a White Coat.

アニメと数学。




意識とは何か、脳のモデル化を考察。

f:id:DrLS:20210116213948j:plain

前のがぐちゃぐちゃだったので清書しました。「脳についての考察」という記事のやつね。タブレットに直にデジタルの絵が描けるのは凄い(語彙力)。あれはこうで、これはああで、という説明なしに図形でパッとわかるのをすぐ絵にできるのは便利。

最近は勉強(仮)に没頭していて考察という考察もできない。アニメの名台詞で「人間何かに酔っ払ってないとダメなんだ。みんな何かの奴隷だった。」という。酒だったり女だったり、暴力だったり、それとゲームだったり、勉強だったり。何かに没頭することで現実逃避してる、これが現実。

そういうわけで考察という考察はパッと出てこない。一応、閃きはしてメモとってるのですが、スマホに記録したか、紙に書いたか、メモ自体を紛失する始末。まあ、世間話はこれくらいにして図の説明をしよう。

 

f:id:DrLS:20210116213948j:plain

ある物を、見たり、聞いたり、触ったり、人間でいう五感で感じたものはとりあえず脳には送られます。とりあえずの情報が送られる領域を「知覚領域」と呼びます。知覚領域に情報が入ると、自動的に、確認領域が作動します(知覚領域の下にある確認領域)。確認領域は入ってきた情報が「知識とか記憶の領域」にあるか、問い合わせ信号を送ります。

三平方の定理の証明と使い方

まだ何も言ってませんよ?

「5?」なんですかそれは。私は「3+4は?」という質問をしようとしました。

この三角形をみたとき、まず情報は「知覚領域」に送られます。次に、確認領域が作動して、「知識とか記憶の領域」に問い合わせ信号を送ります。

「この三角形は知識とか記憶の領域にあるか?」といった内容です。

見事ピタゴラスの定理を覚えていた人だけが、「5」という数字を思い浮かべるわけです。

「思考領域」とは、人が考えたり思考する領域のことです。想像もこの領域で行われます。先の図形の「5」という数字になぜなるのかはこの領域で考えることになります。

思考や判断の材料となるのは「知識とか記憶の領域」にある情報のみです。

「3+4は?」と考えるときは、「知識とか記憶の領域」に「3+4=7」という情報があるかどうかで答えられるかが決まります。

思考領域の下にも確認領域があります。この確認領域は思考された情報に対して正しいかどうかを確認します。考えた結果「3+4=7」になった場合、これを確認領域が知識とか記憶の領域の情報と合致するか、エラー訂正するわけです。

もし「3+4=8」と記憶して場合は「8」と回答することになります。

では「知識とか記憶の領域」に在る情報とは何か?

知識とか記憶についていえることは、それが知覚した情報ということです。この領域が宇宙の凄い場所に繋がっていて情報を抜き出してるなんてことはありません。(1ミリもないとは言えないけど)

ただ確かなのは、過去においてその情報を知覚したという事実です。

聞いたり、聞かされたり、見たり、見せられたりしたものが確かに「知識とか情報の領域」に存在するということです。つまり「知覚領域」に入った情報が「知識とか情報の領域」に移動したということになります。

では考えることはこの移動の条件。

知覚したもの全てが知識とか記憶の領域に移動するとなると、人間は全ての情報を覚えていることになります。残念ながら、人間はそうではありません。昨日のこともあやふやで今日行動してることは昨日決めたことという、超記憶力が乏しいのが人間です。

条件とは、「十分に反復されること」だと考えました。知覚領域に入った情報のうち、十分に反復された情報のみが知識とか記憶領域に移動して、記憶になったり、知識になったりするのです。

別に知覚したもの全部、知識とか記憶の領域に移動するようにして人類みな完全記憶能力にすればいいのに、人間を設計した存在は何を考えてるのでしょう。あえて忘却させてるようにしか見えない。

逆の可能性があります。そんな特異な性質をもった人類はいるけど、性質上、私たち三次元の人類には認識できないとか?人類設計の話は仮想世界を考えるときにしましたが、(このブログでは書いてない)、・・・確かにありうる。でもこれだと人類が決して世界を語ることができなくなる。もどかしい。

知識とか記憶領域にある情報が、記憶領域で思考する材料になるといいました。

では、この情報はどれくらいの情報量でしょうか?

感覚的ですが、一回で引き出せる情報には限りがあります。文字を考えるは簡単ですが、立体物を考えるのは難しい。日本人なら、ひらがな、カタカナ、漢字が知識とか記憶領域に入ってるわけです。これらの二次元的な文字や図形は、記憶しやすく、考えやすい。知覚領域から知識とか記憶領域に移動しやすく、思考材料として、知識とか記憶の領域から思考領域に移動しやすい。

ボードゲームは好きですか?将棋とか?

いわく、天才とよばれる棋士の一人は、盤面をイメージではなく、譜面(二次元的な文字の羅列)で考えるようです。

二次元的な文字や図形は、記憶しやすく、考えやすい。

f:id:DrLS:20210116213948j:plain

想像も思考領域で行われるって言いましたっけ?

想像といえば創作をするときにします。絵を描いたり、小説を書いたりするときです。

「モナリザを描いてください」と言われたら描けますか?

「モナリザ」と聞いた瞬間、確認領域が作動して「モナリザの情報は知識とか記憶の領域に存在するか」確認しまたね。そしてモナリザという情報が存在したので「知ってる。たしか、あんな絵」と想像したはずです。

ただ「モナリザ」とう文字の羅列、またダヴィンチが描いたという知識は思い出しても肝心の絵がぼんやりとしてる。

これを考察するに、色があるものは情報量が多いので引き出しにくい。

確かに、二次元的な文字や図形は色について語ってませんでした。

要するに、三次元、もしくは、色のある情報は情報の量が大きいため引き出しにくい。

ここで哲学的な問いをしますが、引き出しにくい情報というのは情報として成り立っているのか?

「知識とか記憶の領域」に100%で存在してるのか、もしくは、バラバラになって、80%で存在しているのか。存在確率を考えたくなります。

完全記憶能力で話したように、知識とか記憶の領域に在る情報が思考領域に条件なく移動できると、人の想像は莫大になります。ま〜た、人類を設計した存在は制限をかけてるわけです。

これらの制限は設計者の意図か宇宙の原理でそうせざる得なかったか。

ちなみに「モナリザを描く方法」は「リンゴを描く方法」と同じです。

人はリンゴを描くとき「リンゴを描いた経験」「筆を使った経験」といった細々とした知識をつなぎ合わせて、リンゴを描きます。

もちろん、知識とか記憶の領域に存在しない情報は想像できないので描けません。何枚も絵を描いてきた「反復」あってこそ、描けるようになるわけです。

感情について。

このモデルで感情を考えたなら、知覚領域に入った情報に対して感情が芽生える。面白い、おかしい、怖い、悲しいなど感情は知覚して覚えるわけですから、感情とは知覚領域に情報が入ってきたときの反応、と考えることができます。

欲望について。

何かをしたいという欲求、何をほしいという欲求はどうなりますか。

欲求であるから知識でも記憶でもない。

思考?考えることであってる?思考領域の付近あるけど、一致はしないような感覚。

まだこのモデルに追記する必要がある?

理性について。

理性とは行動を抑制する思考のことです。思考領域の一部。

(確認領域は問い合わせとエラー訂正だけを担う領域と考えてる。)

欲望と理性は行動を一緒にする考えです。

何かを得るためには考えているだけではダメで行動しなくてはいけない。

理性もまた、行動を制する思考と考えることができます。

ただ思考領域とは違った領域。

f:id:DrLS:20210116234443j:plain

思考領域の付近に「行動に直結する思考領域」を足しました。

この領域はどういった動作をするのか?

「水がほしい」「(目の前にあるものが)ほしい」

知識とか記憶領域を材料に思考してるよりも、知覚領域を材料に思考している?

アイデンティティや自分の行動原理もここに入りそう。

「(考えたものが)ほしい」

と考えると、思考領域を材料にしてるとも言える。じゃあ、思考領域とは別の新しい領域?

 

考察が捗ってきましたがここまでにしておきます。

 

なぜこんなことを考えるのか?

1つに考えること自体が楽しいから。考えたことで説明ができたときが気持ちいいから。

また認識論にも使えます。たとえば、文章の最初と最後があってたら文字がばらばらでも読めるといったものがあるのですが。

 

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。 この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。 どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ? ちんゃと よためら はのんう よしろく

Typoglycemiaとは (タイポグリセミアとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

今回のモデルで説明すると、知覚領域に入った情報は、確認領域が作動して、知識とか記憶領域に問い合わせ信号を送り、知識とか記憶領域は存在する「正しい文字順」 の羅列を返答している。

確認領域が送る信号は問い合わせ信号とエラー訂正信号です。

人が文字を書く時「この文章は正しいか?」とエラー訂正をしながら書きます。そして知識とか記憶領域にそんな情報が存在するかで正しいかどうか判断しています。先に行った通り、たとえば「3+4=8」と覚えていたらと同じ話です。

文字は2次元的な文字と図形ですので、情報のやりとりがしやすく、確認領域が作動してエラー訂正をしてしまい、読めてしまう。

逆に、日本人は読めないフォントはエラー訂正してしまい、読めなくなる。

といった感じ。

 

Electroharmonixフォント - ダウンロード

https://fontmeme.com/jfont/electroharmonix-font/

 

また、こうした考察(哲学)は、科学の手助けになりえます。たとえば、人工知能を作るとき、このモデルでは感情は知覚領域に情報が入ったことに対する反応、としていますので、機械に心を付けなくても、このモデル通りに作れば自動的に感情が生まれることになります。(理論が正しければ)

機械で作れば人間に枷られた制約もなくすことができます。

知覚したものを全て記憶できたり、思考するときに情報の量に左右されなかったり。

人間は5本の指で何かを作りますが、機械の手なら、写真のような絵がかけたり、もしくは、手である必要もありません。思考がそのままカメラという機械に繋がってたりしたら、ありのままの想像や思考を表現することができます。

そしてもしそんな機械を作ることができるなら、逆になぜ人間にはそのような制約があるのかを再考察できます。

(存在確率の考察では、全世界の情報量≠記憶できる情報量であり、このとき存在は確率的にしか存在しなくなる。人為的な選択世界の考察では、制約は自動的に決まる)

*人為的な選択世界の考察はまだ語っていません。

確認領域がエラー訂正をしますが、賢い人ほど自分の記憶を頼りにしてなく、素直に辞書を開きます。

エラー訂正で正しい文章がかけると言いましたが、「〜というを〜とう」と書いたり、「しづらい」を「しずらい」と書いたり、私の確認領域バグってんのか。

 

いろいろ考察はあるんですけど、勉強(仮)にハマってしまい時間がありません。

ほかにも重力にまつわるものや、最近でいうと、お金とは何か(答えがでて返って面白くない)、凸凹した地面に雪が積もるときなぜ平らになるのか、丸と四角はどちらが先にうまれたか、なぜなぜ論法は究極の思考方、並行世界=仮想世界=シミュレーション仮説=ループ世界、などなど考えています。

考察って面白い。