生きも地獄、還りも地獄。
さて、今回お話するのは今後の行動方針について。
と、いっても昨日話した内容からこの世界では何も成功しない。
まさに「生きも地獄、還りも地獄」という状態。
進むも地獄退くも地獄(どう対応しても状況がよくならないさま)を文字った。
夢でみたことを逆手にとる
夢でみたことはこの世界では実現しない。
これを逆手にとって、この世界での行動方針が決めれる。
たとえば、交通事故をする夢をみたら、この世界では実現しないことだ。
どうどうと道路にでて、寝転がっても事故ることはない。
私がみた夢は、
・高校範囲の勉強を全網羅する
・アマチュア小説で成功する
・ブログで成功する
高校範囲の勉強については、存在しない高校三年生を前提としていた。
存在しない高校三年生自体が実現しない事象なのか、存在しない高校三年生+高校範囲の勉強を全網羅することが実現しない事象なのかは、判断に欠ける。
見ていない夢
私が関わりをもって、なお、夢でみたことのないことは、
・プログラミング
・量子論
・哲学
私は個人的趣味で並行世界について考察しているが、「並行世界を考えてる自分」を夢でみたことはない。このブログからみても分かる通り、私は並行世界論に酔心している。
このブログでは並行世界についての妄想をたらたらと垂れ流したり。
小説でもテーマは並行世界だったりする。
なのに一度たりとも「並行世界の考えが世間に認められる夢」やら「並行世界の考えが世間に馬鹿にされる夢」さえも見たことがない。
これはこの世界では一縷(いちる)の可能性があるということだ。
望みがあるならここしかない。
量子論を本格的にはじめる問題点
並行世界の考えは、もとを辿れば、量子論にある「エヴェレットの多世界解釈」から来ている。 量子論を数学的に理解するには、もちろん高校範囲の勉強を完全理解する必要がある。
問題は、高校範囲の勉強を網羅する夢をみてしまっていることだ。
この夢をみてしまっているゆえに停滞状態にある。
この夢が高校三年生という実現しない事象を指しているのか、高校範囲の勉強を網羅する事象を指しているのか。
もし後者が正しいのなら、いまさら高校範囲を勉強し直したって無意味だってことになる。
回避方法はある。ようは高校範囲に入らずに量子論を学べばいい。
量子コンピュータの授業動画をみたが私でもなんとか理解できる内容だった。
量子”コンピュータ”だったからなのか、私は以前、コンピュータを原理から理解しようとした経験があり、論理回路についてNANDゲートは万能ゲートといったある程度の知識はもっている。
量子コンピュータは量子のもつ性質をつかって新しいコンピュータを作ろうとするものである。
量子のもつ性質、「EPR現象」、「量子テレポーテーション」、「量子もつれ」も私の個人的趣味からある程度知っていた。
もしからしたら、これが私の天職かもしれない。
次なる問題は、私が英語を読めないことだ。本格的なテキストはほぼ英語で書かれており、英語は必須となる。私の英語の理解力は30%程度ありほとんど読めない。
これこそが重大な問題である。
私の今後目標
前々から思っていたことだが、将来の夢、眠っているときの夢の「夢」が言葉が同じ言葉なのが納得できない。ただのお茶ですら、麦茶とか抹茶とか番茶とか名付けるくせに、「夢」については名付けていない。
日本語特有なわけではなく、英語でも将来の夢も眠っているときの夢も「Dream」で表す。
不思議だ。
今後の行動方針として「コンピュータ」「量子論」関連について学習しようと思う。
もちろん、夢でその内容をみてしまったらまた考え直す。
さらに、英語学習もしながら。
小説について
無から何かを創造するのは難しい。 小説はある意味、無から何かを作りだしている。
私自身小説を書くようになってから、小説家は「想像力の化物」と思うようになった。
でも不思議なことに書いた日は思いつかなったキャラクター造形や描写は日が経つにつて深くなっていき、あるときふと頭の中で勝手にキャラクターが動き出す。
考えることを愉しむ私にとってはこの感覚は、興味深く、面白い。
いつか必ず、完成した物語を書き切ってみたい。
終わり
「生きも地獄、還りも地獄」とこの文章を書く前までは絶望状態だったのに、いまや、頭がスッキリしている。文字で書き表すことで、ある意味ストレス発散になったかもしれない。
この感覚は「あの感覚」に近いかもしない。だからと言って、やる気になっても無意味だった、なんてことはざらにあった。
ここは大人しく平常運転で明日のことは明日考えよう。